東京で最初のコンクリート造集合住宅は、1923年の関東大震災のあとの同潤会アパートからといわれています。いくつも見ましたが、みな趣のある、丁寧に考えられ、つくられたという感じがしました。残念ですが、これらの当時の集合住宅はすでに全部取り壊されてしまいました。
マンションと考えられる分譲方式の一号は東京の渋谷と四谷にあります。
1953年築の日本最初の公的分譲マンションは11階建て、昔は「宮益坂アパート」と呼ばれていて、今は「宮益坂ビルディング」と呼ばれています。
1956年「四谷コーポラス」という民間分譲第一号と考えられている。
1948年 最初のRC造の都営住宅(賃貸)
1953年 最初の分譲 宮益坂アパート(宮益坂ビル)
1955年 UR(元住宅公団)稲毛住宅 分譲
1956年 四谷コーポラス 最初の民間分譲
(1955年 武蔵小杉アパートの分譲が最初という説もある)
区分所有であるマンションは600万戸を超えています。マンションという居住形態は1960年代から本格的に供給されはじめ、1970年代以降に急速に普及し、2013年に総戸数は601万戸、居住人口は1480万人を超え、都市型居住として定着してきました。全国で集合住宅は41.7%になり、三大都市圏では52.1%となって一戸建てを上回っています。
一方でマンション建設は、その地域としては高く、大きなヴリュームという例が多く、建築紛争となっています。マンション対マンションという図式で反対運動がされている地域もあります。14階建てのマンションが12階建てのマンション建設に反対運動をした例もあります。
本来は、安心で快適な公的住宅が安定して供給されていれば、マンションには住まないかも知れません。例えば東京都では長い間都営住宅は増えていませんので、自衛策としてマンション購入と考えている人も多いようです。公的住宅が「少量」「決して安くない家賃」「快適とは限らない」「安定して住み続けられない」からこそ、「大量」「民間家賃と同程度でローン返済」「バリエーションがある」「一応持ち家」のマンションを買うことにもつながっています。
国は「センチュリー・ハウジング・システム」(一世紀100年)といっていましたが、いつの間にか「200年」といいはじめました。今ある住宅を50年、100年使うことをよしとしない、建て替え優先の風潮の中で「今度つくる住宅は200年使える住宅にします」といわれても信用できません。そしていつの間にか「長期優良住宅」の普及の促進(2008年制定の法律)と変わってきました。
公的な住宅で30年経った場合、ほとんどがかなり傷んだ状態になっています。長持ちをさせる気持ちが伝わってきません。予算の制限があるからなどの言い訳も聞きますが、管理者は予算獲得にどれだけ力を注いでくれているのでしょうか。公的住宅の必要な修繕を行なわない、結局は長持ちさせられない管理の仕方を見ると管理者が住んでいないから、建物に愛情がかけられていないからだと感じています。
マンションを長く使いたいと思っていても、現実には実に様々な問題があります。